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今月6日の山口達也さん脱退後、4人体制で収録された「TOKIOカケル」が放送されました。
この日のゲストはヒロミさん。
自身の仕事観やジャニーズとの関わりなど、トークを展開しました。
ヒロミさんの言葉がかなりタメになったので、振り返ってみます。
ヒロミはどんな人物?
日本大学中退後、芸能界に入る前は1年程セールスマンを経験しており、しゃべりを駆使して営業成績はトップクラスでした。
その頃に自動車の事故で内臓破裂をするほどの大怪我をして、一時重体になり、生死の境をさまようも、長時間の手術の末一命を取り留めました。
このことから「好きなことをしよう」と、以前から思いを馳せていた芸能界入りを心に決めたそうです。
1986年、デビット伊東、ミスターちんとともにコントグループB21スペシャルを結成し人気コントグループとなったが、1992年所属事務所から独立。このころからピンでの仕事が増えました。
1993年に松本伊代と結婚。
レーシングドライバーとしてや、溶岩浴と加圧トレーニングジムを経営するなど事業者としても活躍。
2004年以降メディアからは姿を消していましたが、2014年から再び芸能界に姿を見せるようになっています。
TOKIOカケルでの深い話
番組はゲストにあらゆる質問を投げかける人気企画「生まれて初めて聞かれました」でした。
長瀬さんが「結婚って何ですか?」と質問。
松本伊代を「ママ」と呼び、夫婦円満のヒロミさんは「友達は俺に『ママに優しいですよね』って言うんだけど、こうやって仲よしごっこでもいいからやってると、自然とそう(仲よく)なってく」と回答しました。
「ママ呼び」こそが夫婦円満の秘訣だと明かしました。
以前は大物にもタメ口で絡むキャラだったヒロミさんに、松岡さんが「一番ビビったのは誰?」と質問。
すると「昔の映像とかで、そういう(大物に大口をたたいていた)自分を見ると、ちょっと怖いもんね。なんでタモさんのことを『おい、タモリ』とか言ってたんだろうって(笑)」と苦笑いしながら「昔の自分に一番ビビる」とし笑いを誘いました。
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国分さんの「ターニングポイントはどこ?」という質問に、ヒロミさんはまず「(芸能界の仕事は)頭を下げてやるもんじゃないと思ってたの。『どうかヒロミを使ってください』とか営業とかはしなくていいし、マネジャーさんにもそんなことさせたくないと思ってたの」と独自の仕事観を説明しました。
続けて芸能界を離れる直前に「『なんか違うな』っていう感じをちょっと感じてた」と述べ、「それを感じたら、君たちは引いたほうがいい」とアドバイスを送っていました。
「デビューしてから初めて、1週間のテレビ欄から自分の名前がなくなったとき、それが不安というより『次、何やろうかな』とか楽しみになって」と、芸能界から離れていたころ、意外と前向きだったことも告白し、「よく『芸能人しかやってないから(辞めたら)生きれないよ』って言われるけど、絶対に生きれるから」としました。
「落ちぶれたかどうかは人が決めることじゃない。自分が落ちぶれたと思わないで、ちゃんと生きていれば全然アリ」
「人生いろいろあるんだよ。でも、いいことも悪いことも、結果“いいこと”になっていくんだよ」と4人に向けて話しました。
番組上ヒロミさんの言葉は4人に向けたものでしたが、脱退した山口さんに向けても語っていたのだと思います。
SNSでの反応
SNSでは今回の放送に
「このタイミングのゲストがヒロミさんでよかった」
「ヒロミさんの言葉がグッとくる」
「TOKIOはいい先輩を持ったね」
など感激するファンが続出しました。
なかには「ちゃんと達也さんは観たんだろうか。TOKIO4人を通したあなたへのメッセージだよ、ヒロミさんの言葉は。そして番組スタッフの想いだよ」
などとグループを脱退した山口さんへのメッセージを発信するファンもいました。
まとめ
デビューからやんちゃで知られたヒロミさん。
一時はそのやんちゃぶりが原因でメディアから10年も離れていました。
今回のTOKIOカケルでは、人生観・仕事観を語ってくれました。
そのどれもがTOKIOのメンバーだけでなく、視聴者の私たちに向けての言葉に感じられました。
番組はますますヒロミさんを好きになる、いい企画でした。
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